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    こだわり

    文化4年(1807年)創業の老舗の醸造元。全国醤油品評会にて、農林水産大臣賞を3度受賞するほどの高品質の醤油造りをしてきた。平成23年3月11日:東日本大震災により、弊社のあった岩手県陸前高田市は壊滅的被害を受け、八木澤商店も蔵、製造工場が全壊、流失したが、岩手県の一関市に営業拠点を移し、県内外の醸造蔵に製造を委託し営業を再開。奇跡的に残ったもろみから搾った「奇跡の醤(ひしお)」を販売開始。 原材料はできる限り国産・地元産のものを使用し、外国産の原料でも遺伝子組換えでない大豆や無添加の食材を使用している。化学調味料等を使用せずに、無添加で食材由来の美味しさを商品として提供できるように製造方法を工夫している。また、味噌や醤油の学校も開催し、発酵を身近に感じていただく活動も行っております。

    奇跡の醤油ヒストリー

    東日本大震災で全壊流失―
    しかし、震災前のもろみが見つかった。

    <震災後、はじめての集合写真>

    震災前のもろみが見つかるまで2011年3月11日の東日本大震災により、弊社があった岩手県陸前高田市内は壊滅的な被害を受けた。200年余続く醤油蔵「八木澤商店」もその被害を受けたうちの一つである。
    150年使い込まれた気仙杉の木桶で仕込む醤油は「香ばしい」と評価をいただいていたが、大津波は工場の外壁だけを残し、すべてを流し去ってしまった。
    その翌月の1日、一人も解雇することなく、そして入社予定だった2人も迎え入れた。その後の入社式が偶然にも報道され、それがきっかけで八木澤商店の奇跡はまだ続く…。

    <見つかったもろみ>


    偶然、震災前に岩手県釜石市の水産技術センターの研究所に、微生物の研究のために預けておいた「もろみ」が、「残っていた。」と後日連絡がきたのだ。4月の報道を偶然見ていた研究員の方が探しだしてくれていたのだった。実はその研究所は海の目の前に建っており、2階まで津波の被害を受けていた。しかし、その瓦礫を掻き分け、そこには1つだけ倒れていないロッカーがあった。そのロッカーの上からあの「もろみ」が見つかったのだ。その当時、弊社へ持っていっても何もなく、どうすることもできないため岩手県の施設に持って行き、新しく工場ができるまで預かっていただいた。八木澤商店の「もろみ」は幸いにも生きていた。

    それから…

    同じ年に陸前高田市の隣町・一関市で仮の事務所をそして空いていた工場でつゆたれ類の製造を開始。それから、翌年の2012年10月に、震災前に廃校になった一関市内の小学校の校庭に新しく工場を建て、陸前高田市に戻り空いていた旅館を改装し、新しく本社兼店舗を再開させた。
    一方、見つかった「もろみ」は当時4kgから少しずつ増やして、培養していただいたのをようやく2013年3月に新工場へ持っていった。そこから厳しい東北の夏を二度経過させて、2014年11月・震災から3年8ヵ月にしてようやく『奇跡の醤』の最初の一滴がしぼられた。

    <『奇跡の醤』の初搾り。醤油は赤い色>